プラス・ネウィズ邸、ヒル・ストリート、スランゴスレン

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1780年、ここにあった慎ましい屋敷に、エリナー・バトラー(1739-1829)とサラ・ポンソンビー(1755-1832)という貴婦人が引っ越してきた。二人はアイルランドのジェントリ階級に属し、エリナーはキルケニー城のバトラー家の出身だった。エリナーの縁談で万策尽きていた両親は、1868年に彼女を3キロほど離れたところに住んでいたサラに引き合わせた。独身娘二人が友だちになって、一緒にそれぞれの夫を探せばいいと両親が期待してのことだった。が、二人はなんと恋人関係になってしまった。そして親にふつうの結婚を強制されないようにと、1778年に二人は家出した。事件は上流階級の大スキャンダルとなった。

llangollen_plas_newydd二人はイングランドに行く計画だったが、結局ウェールズのスランゴスレンに落ち着くことになった。そして屋敷を増改築し、「プラス・ネウィズ(新しいホール)」という屋号をつけた。樫のパネルで家を包み、ステンドグラスの窓をはめこんだ美しい邸宅になった。彼女らはそこに、レディ・エリナーが亡くなるまで、49年間一緒に住んだ。

やがて二人は「スランゴスレンの貴婦人たち」として有名になり、プラス・ネウィズ邸はたくさんの著名人をもてなしている。ウェリントン公爵(ワーテルローの戦いでフランスを破った)、詩人のウィリアム・ワズワース、バイロン卿、ロバート・サウジー、パーシー・ビッシュ、サー・ウオルター・スコット等そうそうたる人々だった。国王ジョージ3世は、二人に年金を授与している。ヨーロッパ大陸からの貴族まで訪ねてきた。

この絵は1890年代のプラス・ネウィズ邸であり、遠くの丘の上にディナス・ブラン城の廃墟が見えている。

現在、プラス・ネウィズ邸は、デンビシャー郡の所有する博物館となっており、19世紀に造られたフォーマルな庭園もある。ヘリテージ宝籤基金の支援による補修が行なわれたとき、彼女ら自身が屋敷の周りに造っていたロマン主義的な景観の試みが発見された。

聖コレン教会墓地には、二人の貴婦人と、彼女らにスランゴスレンで最初に仕えた家政婦の記念碑がある。

郵便番号: LL20 8AW    所在地の地図

プラス・ネウィズ邸のウェブサイト

翻訳: 藤沢邦子